2007年の夏頃かな
町田から練馬に引っ越しして、車でもバイクででも立て続けに違反切符を切られて、
もう都内の車生活はダメだ、自転車にしよう と思ったのがきっかけである。
都内と言っても練馬区の外れなのだが。
楽しく乗っていたが、適当な完成車で物足りなくなるのはあっという間で、すぐに競輪フレームが欲しくなった。
当時はみんなヤフオクだった。いや東京の東エリアにはパンチサイクルがあったな。
西はtempraがまだ神宮前にあった。
人気は三連勝やKaravinka 。
それとエンド幅が110か120か、NJSの刻印があるかなどで価格が異なったが、今思えばどうでもいい。
BSの競輪フレームを手に入れた。
2007年の冬。
仕事柄、塗装はお手の物である。というか塗装の技術を持っていると逆に迷走しがち。
すぐさまブラックに塗り替えて、一気に組み上げた。
ブラックも剥離してメッキで乗っていた時期もある。
外苑の銀杏木
この頃はカラーパーツを減らしているな。
ホイールはクリンチャーからチューブラーに変えている。
チューブラーでのスキッドはクリンチャーのそれよりメチャクチャ気持ち良かった。
この頃は、パナソニックとかVivaloあたりのクロモリピストにblookryn のサイクルキャップ、タックトップ一丁にメッセンジャーバッグをカチ上げて明治通りを疾走するガールなんかが本当にいたんだ。
ペダルマリアっていう可愛い娘らもストリートにいた。
今彼女たちにあったら言ってやるんだ。大ファンですって。
ToMoNI というコラボフレームがリリースされたのもこの頃。
2009年はCMWC tokyoにエントリー。
世界中からバイシクルメッセンジャーが集まっての凄いイベントで、こんなメチャクチャな奴等がいるんだとビックリした。
2010年の冬
前三角だけグリーンに塗った。
鉄の天返しと古いジュラのクランクが気に入っていた。
ご時世的にまだ大丈夫なはずだがカンパのデルタブレーキを付けている。握った事はない。
このデルタブレーキは2018年頃にヤフオクで手放したが、入手した時より高値で売れてカンパニョロすげーと思った。
2021年
何の気なしにピストバイクから入った自転車趣味。
そのピストも今は乗る機会が少ない。年に10回ほどだろうか。
2022年
所持費用対効果が低いなら手放すのが私の流儀だが。
そう流儀に反して所持している。
冬休みに全バラした。
少しは場所を取らずにすむ。
・・・
イトーヨーカドー
UFOキャッチャーは反対していた。捕れないし文化としても苦手。
欲しいなら買ってあげるという方針であったが。
小四の娘は「欲しいわけじゃないんだよ。クレーンを動かすのが楽しいの。だから取れなくてもそれはそれで遊び」という哲学を持ち込んできた。
ふむふむ。
それからはたまにやらせている。500円くらい。
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