2024年6月27日木曜日

白州バイクロア10 (その2)

 



夜中にテントの中で寝てるとSUBARUの排気音が近づいて来た。

水平対向エンジンはボロボロボロ・・・と分かりやすい。

誰かがインプ辺りで来たのかな。

金曜日の夜遅くに到着する出展者もいる。




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朝目覚めてテントを出ると、SUBARUでなくlettersの大輔くんのVWだった。

いつも業務用のバンやトラで会うので、自家用のVWを見るのは久しぶりというか、POPEYE以来初めてかもしれない。

そういえばエンジンをSUBARUに乗せ換えてあると言ってたな。旧いヴァナゴンは同じ水平対向のSUBARUに換装するという延命カスタムがあるみたい。マフラーも多分PORSCHEのかな。
昨今のブームもあってかピカピカの旧車を見かける事も多いが、言うなればツギハギのようなクラシックスはやはり素敵だ。
お金持ってるお洒落な人が世田谷辺りで乗るようなプレミアムカーになってしまったが、昔から乗ってるだけでそんなつもりじゃないんだ と彼は言う。



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白州バイクロア10 開幕
表彰式のプレゼンター、ワカちゃん
君と一緒にテントサウナを体験できただけで、もう来た意味があったよ。




Block head mortors presents のRCカーグランプリ。

子供達に人気でやりたいと言うんだけれど、貸し借りするようなチープなモノでないし、コントロールもとても難しい。でもちびっこ達にも触らせてあげたいのは今後どうしようか。

例えばTAMIYAとかの高価な車体だけでなく、トイザらスとかドンキ辺りで買ったラジコンでエントリーしてくれる人いてほしいよね




ニジマスを掴み取りしてそれを活かしたまま水たぷたぷさせた袋で持って周回レースという、冗談を本気にて。ニジマスつかみ取りレース。

掴み取りのターンがめちゃくちゃ盛り上がったよ

なかなかニジマスを捕まえられないコウダイは「自転車速いだけじゃダメなんだよバカヤロウ!」ってヤジられてたのが、ヤジ将軍やっぱ秀逸。




筑波大の子らもボランティアスタッフで20人位来てた。
5人乗りのコンパクトカーをレンタルして、それに5人乗車で茨城から来ちゃうのとか若くて凄い。
ネイチャーハイクの1万位のソロテントをみんな買ってて、それも無い子達は誰かのコールマンの大きなテントに雑魚寝とか若くて凄い。

れいなはバイクロアがきっかけで自転車に興味を持ち、ブロンプトンを新車で入手してた。
最初の1台がともすればファイナルアンサーにも成りうるブロンプトンだなんて、大学と院と合わせて6年間ちゃんと建築の勉強をして、この春都内の設計事務所に就職した彼女の賢さを完全に具現化している。人生に無駄がない。

右往左往と無駄足を踏んできた俺達とは頭の中身が違うんだよ、ともんじゃと話した。


久々の白州ロアはローカルフェスっぽく感じたな。北杜市の山の中で土日開催されるって、月~金フルで働いている多くの人にはなかなかハードルの高いイベントだと思う。私だって6年ぶりなわけだし。

そして表沙汰になることはないだろう夜のファイヤーレースとか、現地に居合わせた人だけの幻想空間であろう。

出展する側も仕事として行くとというよりかは、最高のロケーションの場所でキャンプも楽しみに来てるような






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下里の三喜食堂
クラシックスタイルのTHE 食堂である。


量が多くて美味しくて食べ過ぎてしまうのだ。
フライを2品選べる定食

























2024年6月24日月曜日

白州バイクロア10 (その1)

 

カメラロールを遡ると恐らく2018年以来の白州バイクロアに行った。

もちろん1人。

秋ヶ瀬バイクロアと土浦バイクロアは欠かさず行っているが、白州は割愛していた。理由は色々だがそうだな中央フリーウェイの渋滞が酷いからというのが大きいかもしれない。


久しぶりの再訪のきっかけのひとつがARE.SAUNAの出展だ。

白州ロアの会場を流れるリアル南アルプス天然水の尾白川の川べりで、テントサウナが体験出来る。恥ずかしながら流行にドンブラコしてサウナを楽しんだりもする私である。

サウナ後のナチュラルワインなんて最高じゃないか。


現地の仲間たちには知らせずに行った。GW後は仕事がドタバタして急遽行けないなんて事も考えられたし、いかにもフラっと来た感じがクールだと思っていた 位は自意識過剰だ。

金曜日、午前中で仕事を終わらせてそのまま白州に向かう。仕事用のバンには昨夜からキャンプ道具を積んでおいてある。

15時頃、山梨県北杜市白州町「べるがキャンプ場」到着である。



準備に走り回るスタッフ達はいつもの顔ぶれだ。年に何度もイベントで顔を合わす仲間達なので特に懐かしさもない。

そして私の到着も別にみんなフツーなのだ。熱烈歓迎を期待してたわけではないがあまりにも普通。お疲れ、今着いたの?だってさ。

おいおい、、白州は6年ぶりの森が来ましたよ~!


今回はブース出店は無い。遊びに全フリする回にするんだ。

明日の土曜日から開催である。早朝から来場者が来るだろう。今夜は早く寝よう。


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清瀬の天和

普通の中華屋というカテゴリーで何度か利用してたのだが、

ある日なんとなく食べた刀削麺がめちゃくちゃ美味しくて驚いた!

麺がもちもちしてて好みである。











2024年6月21日金曜日

GW06



例の高庄亭である。

東久留米駅 西口

駐車場が無いからかな、私にはなかなかフィットしない。こんな時車移動の仕事は残念である。
昼時はいつも繁盛しているし、ローカルの友人らは揃って美味しいと教えてくれる。
むむ?よく見るとビルの名前が高庄ビルなんだな。

もやしそば


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Graphgear500というシャーペンを長く愛用している。それのお尻についている消しゴム(小)の替えを買うのに一苦労した。

池袋Loftや瑞穂町のジョイホンにも無い。ネットだと100個単位、ヨーカドーの文房具売り場に相談しても4個×12セット単位で注文と言われ、そんな一生分の替えゴムはいらん。
ペンテルのお問い合わせフォームに連絡したら、東久留米市だとショウ文堂が代理店だからそこに聞いてくれと。


ショウ文堂、いとも簡単に1個だけ取り寄せてくれた。町の小さな文具屋にこんな特技があるなんて。

ショウ文堂のショウはごんべんに登る。


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妻と二人でカドカワミュージアムに行った。

GW中に開催しているハンバーガーフェスというイベントが目当てだ。

とても大きくて、マイクラみたい。


ジャブジャブ池もあって、子供達サイコーに楽しそう。

この日は特別素敵なハンバーガーは見当たらなかった。
キッチンカーも流行ってるからか、ほいちょいっぽいのが多い気がするな最近は。


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娘のGWの宿題の一つ。野花の採取と部位毎に押し花にするのと、解説を添えて。

野花を探しに川沿いを歩いた。

私はこのようにフィールドに飛び出す宿題は楽しいと思うが、娘にはただ面倒なだけらしい。

アプリで写真を撮ればその花の全てが判明する。
それをノートに転記してるだけに見えるが。
というそれでいいのかそれが目的なのかと宿題の狙いが分からない私達世代には。



地味なゴールデンウィークが終わった。
波風のたたない日常に感謝しよう。





 

2024年6月15日土曜日

GW05 (秦野へ鶴巻へ)

 



GW真っ只中。
学生時代に4年間暮らした町に来てる
友達らが暮らしてたアパートを巡ろう


大学入口から秦野方面に登ったところにあるスリーエフはヤマザキになっていた。
当時は派手なコンビニだったはずだが、町の酒屋みたいになっていた。
普通は逆だと思うのだが。
この裏には荻の住んでたアパートがあるな。

荻のアパート。こんなにボロかったっけ?
学生街あるあるなのか、どこも自転車置き場とかゴミ置き場がワヤ。


その近所の弁当屋、丁字屋
ノリ弁に明太子が敷き詰められた九州弁当が好きだった
荻のアパートで遊んでいる時は、ジャンケンで負けた誰かがこの店に買いに来た。
荻は家主だからという理由でジャンケンに参加せずとも買ってきてもらえた。

丁字屋の隣は鉄板焼きタマル
フワフワでめちゃくちゃ美味しいお好み焼屋だが、学生には高価なのでたまにしか行けなかった。白髪で角刈りの大将が焼き方にうるさくてそれがイヤだという友達も多くいたが、私は気にならなかった。

ここでランチを頂いた
豚ロース焼き定食

この日厨房に立つ40~50歳位の店主を見てすぐ分かった。白髪の大将に似てる、息子に違いない。声かけたい。
だけど気をつけねばならない、感慨深いのは久しぶりの私だけだ。店主にしてみたら何てことない一人の客だ。
我慢できずに声掛けてしまった。「卒業以来26年ぶりに来ました」

店主も大女将さんも喜んでくれて良かった。
白髪の大将は8年前に亡くなったと話してくれた。


それからテイジロウや野口のアパートを探したが、見つからなかった。
恐らく取り壊されたのだろう。

一番ビビッたのが裏山の麓にあるタケの住んでたアパート。
廃墟になってた。これまだ住んでる人いるのかな。
ここでタケはSteedを盗まれたな。




東側の隣町・秦野に移動した。バイトしてたボウリング場のある町だ。
そのボウリング場は20年位前に閉館してる。
中華食堂 ふたば
看板が消されているので閉業したのであろう。
バイト前とか休憩とかによく食べに行った。私はいつもチャーハンだった。
店主の宮島さんはボウリング場のお客さんでもありお世話になったが、さすがに突然の訪問はしなかった。


バイトの駐車場
こういう意味ない場所がやけに思い出だったりする。
学生が車を持つくらい田舎なんだ。
私は48万で買ったP10プリメーラに乗ってた。
走り屋じゃないけど、5速MTのSRエンジンは楽しい車だった。
 
秦野にはもんじゃ焼きがめちゃくちゃ美味しい桃太郎と言う鉄板焼き屋があったけど、それは無くなっていた。

バイト先の社員の鈴木さんが住んでたル・ラゴン
ル・ラゴンという名称がなぜかツボで、みんなそう呼んでた。

鈴木さんの住戸は社員寮扱いで、他支店の社員が出張で来たら同室に泊まってたけど、2DKとはいえ今思えば無茶だな。
それ以上にバイトの我々が週に3日は遊びに来てたからプライバシーなんて無かったような。
バイトが終わって、ゲンコツラーメン食べて、ここでみんなで麻雀した。

新入社員の高橋さんもこの社員寮での生活が始まったけど、こんな所への人事配置は想定してなかっただろうな。バイトが溜まり場にしてる寮なんて。



西側の隣町・鶴巻温泉に移動した。
今回の目的地のひとまず最後である。
駅の近くに温泉旅館が数軒ある。

学生達のバイト先としてもお世話になる旅館で、大和旅館では野口、陣屋ではコウダと荻がバイトしてた。
コウダはアパートで炊飯器内のご飯を保温のまま夏休みに二ヶ月帰省してしまい、その後戻ってきても怖くて開けられずそのまま1年放置してしまった男で、あれ最後どうしたんたっけ。

鶴巻にはヨコタが住んでた。
ヨコタは荻の彼女で、我々は荻のアパートと同じくらい横田のアパートにも遊びに行ってたな。
彼女は札幌の高校の時の友人で、上京してここから厚木の看護学校に通っていた。
上京して最初の1年位は東久留米の高庄亭の上のマンションに住んだという謎の奇跡がある。


鶴巻温泉駅のすぐ近くの弘法の湯
さて日帰り入浴して東久留米に帰ろう。

この春、各方面の旧友と会う機会があった。ちょっとしたタイミングは能動的に掴みにいこう。
それも一つのきっかけで、ゴールデンウィークに学生時代を暮らした町を訪れた。
近寄りたくなかった町は、、、
まだ上手く言語化出来ていないが少し克服できた気がする。

くだらない記事を読んでくれてありがとうございました。















2024年6月8日土曜日

GW04 (母校へ)





大学ではほとんど成果は出せなかった
遊びやバイトばかりだったな。

厚木JCTから小田原厚木有料道路に乗り換え南下する。
一人暮らしを始める時に、父のトヨタで両親と共にアパートに向かった道だ。後方には引越し屋のトラックが追走してた。

厚木~伊勢原~平塚の田園風景を走る。
卒業後も稀にドライブや出張でここを通過する事はあったが、大学の思い出が蘇るので好きじゃないというか何かムズ痒いというか胸が締め付けられる思いのするエリアだ。
今回は通過ではない、目的地が大学とその周辺の地だ。



平塚料金所を下りて金目川沿いを10分ほど走ると、当時のアパートに着く。
数えると26年ぶりだ。
写真右に見える物件である。2F建ての木造アパート。変わっていない。
左に見えるフェンスの内側は、私の通った大学のキャンパスだ。
大学に近いアパートにしたんだ。

あの春、一人暮らしの荷物なのでアパートへの搬入もすぐに終わった。
父と母は「じゃあ父さんたちは帰るぞ」と言ってすぐに帰った。息子が家を出て一人暮らしを始める日である、3人で夕飯でも食べに行くのが普通なのかもしれないが、私の性格がそういう事にしなかったんだと思う。そんな親不孝息子だ。



友達といえば付属高校からの友人やバイト仲間ばかりで、大学には仲良く共に過ごすような仲間はいなかった。私がひねくれてシャットアウトしていたのだ。

この町での生活は楽しかったんだ。
勉強が本業の学生らしくなかった。
それが恥ずかしい。

そのせいで避けていたこの町を訪問することにした。卒業以来26年ぶりだ。
過去の愚行にちゃんと向き合って、全ての関わった方に懺悔したいのかもしれない。



駅を見に行ってみよう。
小田急線東海大学前駅
変わってて昔と全然違う


目の前の万年山(居酒屋)が入ってるビルはまだあった。
万年山では直相がバイトしてたな。
ここで泥酔した私は、2コ上の石丸さんに会って「石丸さ~んヒック、、」と声かけたけど、
え?オレ違うよ と相手にされなくて、それでも「石丸さ~んヒック、、」と絡んだ。
あれ絶対石丸さんだったよな~。


駅前道路
右手には変わらず横浜銀行が見える。道幅は2倍ほどに広くなっている。
その先のダイエーは閉店してて、そのもっと先の炉端焼き「司」はまだやっていた。


駅からは大学までは15~20分歩く。登り坂が続くし結構大変。
学生街らしいアパートが並ぶ。
新しい物件も増えている。
道沿いにあったいくつかの古い定食屋はほとんど変わっていた。つまりあれだ、賃料のかからないスタイルじゃないと飲食店は難しいのか。




あの頃既にボロかったアパートは取り壊されたのだろう。
例えばこの通りにあった斉田が住んでいたアパートは無くなっていた。小樽の斉田。
古いタイプのアパートとか、懐かしい。

一歩一歩、当時を振り返りかつ反省しながら歩いた。
当時嫌いだったこの町を克服したい。

大学へ向かう道の最後の砦
大階段
広くなってるし、左にはエスカレーターが設けられている。
ノスタルジイな学生街に似合わない最新エスカレータだ。
市と大学が共同で設置したようだ。



着いた
1号館
入学直後の色々な手続きとかやった校舎
あと四年生になってまで一年生に混ざって受講した中国語の校舎。恥ずかしかった。
その位成績は悪かった。



大きなホールの2号館
新1年生が一堂に受ける講義とかここだった。
春の浮足立った大学生とか超イヤだった。自分も同じなのに。


私が一番利用した14号館
1コマ90分の授業は地獄だった
じゃあなんで大学行ったんだ



ゼミ室があった3号館
2階の渡り廊下で休憩時間を過ごした
魂の友達はいなかったけど、共に過ごしてくれた彼らには感謝してる。



坂を下って南側に行ってみる
GW中なので学生はほとんどいない
こんな日に大学にいるのはスポーツ部に注力する素晴らしい学生と、勉学や文化に勤しむ真っ直ぐな学生だろう。
本当に頭が下がる。


運動場も整備されてトラックが新しくなってた。
入学した春だったな、午後の体育の授業中、私はランチで食べたカツカレーをゲボった。
1000m記録会走って気持ち悪くなり、そのまま校庭の隅の樹木に隠れてゲボった。胃液を吐きながら涙目になってた。友達のいなかった私には誰もフォローに来なくて、心折れた私はそのまま授業をトンズラした。
そんな苦い思い出も回収してやるんだ。





ゴールデンウィーク、家族で出掛けない私は1人で帰省した、第二の故郷に。
そう、第二の故郷と言えるほどの思い出があるんだ
目を背けるのはやめよう。



続く